ヒト二足歩行の進化と骨盤形態|腸骨形成の発生遺伝学的メカニズムを解明
いうまでもなく人類の最大の特徴の一つは直立二足歩行であり、大後頭孔の位置などの情報から、2001年にアフリカのチャドで発掘された700万年前の人類であるサヘラントロプス・チャデンシスが最も初期に直立歩行した人類ではないかと推定されています(直立している人類の場合は、頭蓋骨の底部に孔がある)。しかしこの進化がどのように起こったのかは、依然としてわかっていません。
本論文は、ヒトに特有の二足歩行を可能にした骨盤の形態進化における発生遺伝学的基盤を、多角的なアプローチを用いて明らかにしたものです。著者らは、ヒトの骨盤の主要な構成要素である腸骨に着目し、組織学的解析、比較ゲノム解析、機能ゲノム解析を組み合わせることで、ヒト腸骨の形態形成における2つの重要な発生遺伝学的革新を発見しました。
一つ目は、腸骨軟骨成長板の異所性シフトです。他の霊長類やマウスでは、腸骨の成長板は頭尾方向に沿って配置されていますが、ヒトでは成長板が体の側面に対して垂直になるようにシフトしていることが観察されました。このシフトにより、腸骨は幅広くなり、背が低くなるというヒト特有の形態を獲得しました。
二つ目は、骨化の異時性・異所性シフトです。他の霊長類やマウスでは、腸骨の骨化は骨の中央部から始まり、内側に向かって進行しますが、ヒトでは骨化が腸骨の後方から始まり、軟骨膜に沿って外側に向かって進行することがわかりました。また、ヒトの腸骨の骨化は、他の骨と比較して遅れて起こるという異時性も示されました。
これらの2つのシフトの背景には、SOX9-ZNF521-PTH1RとRUNX2-FOXP1/2間の複雑な階層的相互作用を含む、軟骨細胞-軟骨膜-骨芽細胞経路の制御変化があることが示唆されました。SOX9は軟骨形成において重要な役割を果たし、PTH1Rは軟骨細胞の増殖を制御することが知られています。RUNX2とFOXP1/2は骨芽細胞の分化に関与しており、これらの遺伝子の発現や相互作用の変化が、ヒトの腸骨の独特な形態形成に影響を与えていると考えられます。骨代謝研究でおなじみの遺伝子が関与しているのは興味深いです。
研究チームはさらに、単一細胞マルチオミクス解析と空間トランスクリプトミクス解析を用いて、これらのシフトに関与する細胞集団と遺伝子発現パターンを詳細に解析し、腸骨の形態形成に関与する様々な細胞集団(軟骨細胞、骨芽細胞、軟骨膜細胞、線維芽細胞、筋肉細胞など)が存在し、これらの細胞集団間の相互作用が、腸骨の形態形成を制御していることが示唆されました。
特に興味深いのは、ZNF521と呼ばれる転写因子が腸骨の形態形成において重要な役割を果たしている可能性が示された点です。ZNF521は軟骨細胞の成長板のサイズ、形態、拡張を制御する分子ネットワークに関与することが知られており、今後の研究によってヒト腸骨の形態形成におけるZNF521の役割がさらに解明されれば、二足歩行の進化における遺伝的メカニズムの理解が一段と深まることが期待されます。
また、本論文では、筋肉の付着と骨盤の形状の関係についても議論されています。中殿筋、小殿筋、大腿直筋といった二足歩行に必要な筋肉の付着が、腸骨の形状形成に影響を与えている可能性が示唆されました。
さらに、ヒトの腸骨の形態形成に関与する遺伝子領域には、ヒト加速領域(human accelerated regions, HARs)と呼ばれる、ヒトの進化において急速な変化を遂げた領域が存在することがわかりました。これらのHARsは、軟骨細胞、骨芽細胞、軟骨膜細胞などの特定の細胞集団において活性化されており、これらの細胞集団における遺伝子発現の変化が、ヒトの腸骨の独特な形態形成に寄与していると考えられます。
最後に、著者らは、ヒトの二足歩行の進化における腸骨の形態変化を説明する三段階モデルを提唱しています。第一段階では、成長の方向が垂直方向から水平方向にシフトし、第二段階では、成長板の方向が固定され、骨化が腸骨の後方から始まるようになります。第三段階では、骨化のタイミングが遅延し、腸骨の複雑な形状が維持されるようになります。
本論文は、ヒトの二足歩行を可能にした骨盤の進化における発生遺伝学的メカニズムの理解を深めるものであり、ヒトの進化における重要な適応形質である二足歩行の起源に新たな光を当てるものです。また、本研究で用いられた多角的なアプローチは、他の生物の形態進化における遺伝的メカニズムの解明にも応用できる可能性を秘めています。

論文情報
Senevirathne, G., Fernandopulle, S.C., Richard, D. et al. The evolution of hominin bipedalism in two steps. Nature (2025).
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09399-9