脳は再生する:海馬に潜む神経前駆細胞の実像

脳は再生する:海馬に潜む神経前駆細胞の実像

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スペインの神経解剖学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハル(Santiago Ramón y Cajal)は成体哺乳類の中枢神経系は損傷を受けると再生しないと提唱し、この説は長らく定説とされていました。しかし1990年代以降、中枢神経も再生する可能性が示唆されており、再生医療の可能性が指摘されています。

本研究は、成人ヒトの海馬における神経新生の存在と特性を明らかにするため、幼少期から成人期までの海馬組織を対象に、single-nucleus RNA sequencing(snRNA-seq)を用いて網羅的な遺伝子発現解析を実施したものです。

まず、幼少期(0-5歳)のヒト海馬組織のsnRNA-seqデータから、主要な細胞種を同定し、マウスの神経新生系統に特徴的な遺伝子発現パターンを持つ細胞群を抽出しました。詳細な解析の結果、神経幹細胞(NSC)、中間神経前駆細胞(INP)、神経芽細胞(NB)の各段階の細胞が同定され、RNA velocity解析により、NSCからINP、NBを経て顆粒ニューロンへと分化する連続的な神経新生経路が確認されました。

成人期(13-78歳)のヒト海馬組織において、Ki67陽性細胞の分取とsnRNA-seqを組み合わせることで、増殖中の神経前駆細胞の同定を試みたところ、成人期海馬においてもNSC、INP、NBの存在が確認されました。これらの細胞は、遺伝子発現パターンから歯状回に局在していることが示唆されました。

さらに、マウス、ブタ、アカゲザルの海馬snRNA-seqデータとの統合解析を行った結果、ヒトのNSC、INP、NBは、他の種の対応する細胞種と類似した遺伝子発現パターンを示す一方、ヒト特有の遺伝子発現パターンも存在することが明らかになりました。例えば、EZH2はヒトのINPおよびNBで高発現していましたが、他の種では異なっていました。

さらに空間トランスクリプトミクス解析(RNAscope in situ hybridizationおよびXenium)を用いて神経前駆細胞の局在を確認しましたた。その結果、NESTIN, SOX2, ASCL1などのマーカーを発現するNSC、ASCL1, EOMES, SOX2などのマーカーを発現するINP、そしてEZH2, EOMES, DCXなどのマーカーを発現するNBが、歯状回の顆粒細胞層とその近傍に局在していることが確認されました。

本研究は、成人ヒト海馬における神経新生の存在を分子レベルで明らかにした点で重要です。成人期における神経新生は、学習・記憶や気分調節などの認知機能に寄与すると考えられており、神経新生のメカニズムを解明することは、神経疾患の病態理解や治療法開発につながる可能性があります。

脳は再生する:海馬に潜む神経前駆細胞の実像
脳は再生する:海馬に潜む神経前駆細胞の実像(出典:AI生成画像)

論文情報

Ionut Dumitru et al.,Identification of proliferating neural progenitors in the adult human hippocampus.Science389,58-63(2025). DOI:10.1126/science.adu9575

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